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Sixties 45

The Beatles - I'm Happy Just To Dance With You / I'll Cry Instead

1964 USA Original 45rpm Record [CAPITOL/5234]

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20世紀の音楽史に残るイギリス出身の伝説のロック・バンド/ザ・ビートルズが、1964年7月20日にCAPITOLレーベルからリリースしたシングルです。

ジョージ・マーティン・プロデュースによる作品です。

George Martin

映画『ハード・デイズ・ナイト』のサウンドトラックに収録されました。



ビルボード・ホット100チャートで最高95位、USキャッシュボックスチャートで最高91位、カナダのRPMチャートで最高32位を記録しました。

ジョン・レノンとポール・マッカートニーによって書かれた曲です。リードボーカルはジョージ・ハリスンで、映画『ハード・デイズ・ナイト』での彼のパフォーマンスは、マスメディアでハリソンがリードを歌った姿が撮影されました。ハリソンの穏やかなボーカルと並行して、多忙なスタイルのリズムギターが特徴です。このギターパートはザ・ローリング・ストーンズによるバディー・ホリーの曲「ノット・フェード・アウェイ」のカバーからインスピレーションを得ているされます。



1980年6月にアン・マレーによるカバーがビルボード・ホット100チャートで64位、ビルボード・カントリーチャートで23位、アダルトコンテンポラリーチャートで13位に達しました。



裏面もヒットしており、ビルボード・ホット100チャートで最高25位、USキャッシュボックスチャートで最高22位、カナダのRPMチャートで最高16位を記録しました。

ジョン・レノンによって書かれた曲で、ジョン・レノン=マッカートニーとクレジットされています。こちらも映画『ハード・デイズ・ナイト』に挿入するために作曲されました。ジョージ・ハリスンのリード・ギターやジョン・レノンのリズム・ギターやコードにはロカビリーの影響が見られると示唆される60's ロックンロール・クラシックスです。

コンディションVG--評価の傷盤ですが、音質は見た目以上にしっかりと鳴る印象です。実際のレコードから作成した試聴音源をお試しください。初期のマイナーヒット・シングルで比較的珍しい一枚ですのでおすすめです。

コンディション:VG--/VG--/RW
マトリックス番号45-X-45040-F3 / 45-X-45041-G4

アーティスト【ザ・ビートルズ】























ロック・グループ。1957年3月、クオーリー・バンク・スクールに通う16歳のジョン・レノンが結成したスキッフル・グループ/ザ・ブラックジャックス(The Blackjacks)~ザ・クオーリーメン(The Quarrymen)が前身となる。同年7月、15歳のポール・マッカートニーがギタリストとして参加。1958年2月、ポールの友人だった14歳のジョージ・ハリソンをジョンがオーディションし、数ヵ月後にジョージはリード・シンガーとしてグループに参加。1959年1月、友人が抜けてギタリスト3人トリオとなった彼らはジョニー&ザ・ムーンドッグス(Johnny & the Moondogs)を名乗りロックンロールを演奏。1960年、ジョンが通っていたリヴァプール・カレッジ・オブ・アートの友人スチュアート・サトクリフがベーシストとしてグループに参加。同年5月頃、スチュの提案でグループ名を The Beatles として活動。そしてリヴァプール出身の歌手 ジョニー・ジェントル のバッキングとしてスコットランド等をツアーで遠征し、同年7月より約一ヶ月の間は The Silver Beatles として活動。同年8月、ドラマーに恵まれなかった彼らは、当時の臨時マネージャー/アラン・ウィリアムスが手配したドイツ・ハンブルク公演のために、ピート・ベストを迎え入れて5人編成となり、その後約2年間はハンブルグを中心に活動。1961年1月、スチュアートは絵描きに専念する為、グループからの脱退を決意し、ポールがベーシストとなる。そして当時交流のあったドイツの音楽プロデューサー/ベルト・ケンプフェルトの提案で、歌手トニー・シェリダンのバックを努める。1961年6月に録音された「My Bonnie」はトニー・シェリダン&ザ・ビート・ブラザーズ(Tony Sheridan & The Beat Brothers)名義でリリースされヒットした。ハンブルグでの人気を確立した彼らはその後再びリヴァプールに戻り演奏。同年11月にキャヴァーン・クラブにて、レコード屋店主で音楽評論家の ブライアン・エプスタイン と出会い、1962年1月にブライアンは彼らのマネージャーとなる。同年2月にDECCAレーベルのオーディションをうけるものの「ギター・グループは落ち目だ」という理由から不合格となったが、マネージャーのブライアンがEMIレーベルの音楽プロデューサー/ジョージ・マーティンとの交渉に成功し、同年6月に彼らはPARLOPHONEレーベルと契約する。6月6日には早速、アビーロードスタジオでの初セッションが行われたが、「ドラマーがヘタだ」という理由で、同年8月にロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ(Rory Storm and the Hurricanes)出身のドラマー/リンゴ・スターが新たにメンバーとして加入。それでもその時のセッションはジョージ・マーティンは気に入らず、スコットランド出身のセッション・ミュージシャン/アンディー・ホワイトのドラムスを起用し、「Love Me Do」と「P.S. I Love You」を録音した。同年8月にリリースされた彼らのファースト・シングル「Love Me Do」は全英シングルチャートで最高17位を記録する大ヒットとなり、その後テレビにも出演。マネージャーのブライアンの提案により、髪の毛は下ろし、揃いのスーツを着て、ステージでは悪態をつかず禁煙もし、演奏が終わればお辞儀をする…等々、クリーンな印象を持つバンドとしての売り込みにも成功しました。以降は解散を迎える1970年まで第一線で活躍し、ロック史/歴史に残る伝説のバンドとして君臨している。
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