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Sixties 45

The Beatles - Eight Days A Week / I Don't Want To Spoil The Party

1965(1964) USA Original 45rpm Record [CAPITOL/5371]

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20世紀の音楽史に残るイギリス出身の伝説のロック・バンド/ザ・ビートルズが、1965年2月15日にCAPITOLレーベルからリリースしたシングルです。

英国では1964年12月4日発売のアルバム『ビートルズ・フォー・セール』に収録されました。



ジョージ・マーティン・プロデュースによる作品です。

George Martin

ビルボード・ホット100チャートで最高1位、USキャッシュボックスチャートで最高1位、カナダのRPMチャートで最高1位を記録しました。1965年9月16日にアメリカレコード協会によってゴールド認定されました。

マッカートニーの最初のアイデアに基づいて、ポール・マッカートニーとジョン・レノンによって書かれた曲です。レコーディングは1964年10月にロンドンのEMIスタジオで行われました。トラックはフェードインで始まり、ポップスのスタジオ録音でこの技術が初めて使用されました。

裏面もヒットしており、ビルボード・ホット100チャートで最高39位を記録しました。

ジョン・レノンが書いた曲で、レノン=マッカートニーのクレジットとされています。レコーディングにおけるジョージ・ハリスンのギター・ソロは、カール・パーキンスのスタイルで彼の新しいグレッチ・テネシアンで演奏され、中音域のレゾナンス・ブーストによって強化され、特に明るいサウンドを与えました。カントリー・ミュージック百科事典によれば、この曲はカントリー・ロックの初期の例であり、ザ・バーズ等のスタイルを予期していたとされます。

1989年にロザンヌ・キャッシュによるカバーは、 ビルボード・カントリーチャートで1位になりました。



コンディションVG(-)/VG(-)/WOL/RW
マトリックス番号45-X-45147-P1 #6 / 45-X-45150-P1 #4

アーティスト【ザ・ビートルズ】























ロック・グループ。1957年3月、クオーリー・バンク・スクールに通う16歳のジョン・レノンが結成したスキッフル・グループ/ザ・ブラックジャックス(The Blackjacks)~ザ・クオーリーメン(The Quarrymen)が前身となる。同年7月、15歳のポール・マッカートニーがギタリストとして参加。1958年2月、ポールの友人だった14歳のジョージ・ハリソンをジョンがオーディションし、数ヵ月後にジョージはリード・シンガーとしてグループに参加。1959年1月、友人が抜けてギタリスト3人トリオとなった彼らはジョニー&ザ・ムーンドッグス(Johnny & the Moondogs)を名乗りロックンロールを演奏。1960年、ジョンが通っていたリヴァプール・カレッジ・オブ・アートの友人スチュアート・サトクリフがベーシストとしてグループに参加。同年5月頃、スチュの提案でグループ名を The Beatles として活動。そしてリヴァプール出身の歌手 ジョニー・ジェントル のバッキングとしてスコットランド等をツアーで遠征し、同年7月より約一ヶ月の間は The Silver Beatles として活動。同年8月、ドラマーに恵まれなかった彼らは、当時の臨時マネージャー/アラン・ウィリアムスが手配したドイツ・ハンブルク公演のために、ピート・ベストを迎え入れて5人編成となり、その後約2年間はハンブルグを中心に活動。1961年1月、スチュアートは絵描きに専念する為、グループからの脱退を決意し、ポールがベーシストとなる。そして当時交流のあったドイツの音楽プロデューサー/ベルト・ケンプフェルトの提案で、歌手トニー・シェリダンのバックを努める。1961年6月に録音された「My Bonnie」はトニー・シェリダン&ザ・ビート・ブラザーズ(Tony Sheridan & The Beat Brothers)名義でリリースされヒットした。ハンブルグでの人気を確立した彼らはその後再びリヴァプールに戻り演奏。同年11月にキャヴァーン・クラブにて、レコード屋店主で音楽評論家の ブライアン・エプスタイン と出会い、1962年1月にブライアンは彼らのマネージャーとなる。同年2月にDECCAレーベルのオーディションをうけるものの「ギター・グループは落ち目だ」という理由から不合格となったが、マネージャーのブライアンがEMIレーベルの音楽プロデューサー/ジョージ・マーティンとの交渉に成功し、同年6月に彼らはPARLOPHONEレーベルと契約する。6月6日には早速、アビーロードスタジオでの初セッションが行われたが、「ドラマーがヘタだ」という理由で、同年8月にロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ(Rory Storm and the Hurricanes)出身のドラマー/リンゴ・スターが新たにメンバーとして加入。それでもその時のセッションはジョージ・マーティンは気に入らず、スコットランド出身のセッション・ミュージシャン/アンディー・ホワイトのドラムスを起用し、「Love Me Do」と「P.S. I Love You」を録音した。同年8月にリリースされた彼らのファースト・シングル「Love Me Do」は全英シングルチャートで最高17位を記録する大ヒットとなり、その後テレビにも出演。マネージャーのブライアンの提案により、髪の毛は下ろし、揃いのスーツを着て、ステージでは悪態をつかず禁煙もし、演奏が終わればお辞儀をする…等々、クリーンな印象を持つバンドとしての売り込みにも成功しました。以降は解散を迎える1970年まで第一線で活躍し、ロック史/歴史に残る伝説のバンドとして君臨している。
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